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マルゼン創業者・石橋幸路さん<その4、最終回>
“進化”から“真価”へドラッグストア・ストーリー素晴らしき経営者との出会い⑥

“進化”から“真価”へドラッグストア・ストーリー
素晴らしき経営者との出会い⑥
マルゼン創業者・石橋幸路さん<その4、最終回>


小売業にとって一番大事なことは取引先、地域住民から
“信用”されることである。そして人生を送る時には良き友が欲しい


新しいことに挑むには、清水の舞台から降りる決意・覚悟が必要だ。そこには明るい未来があるかもしれないし、あるいは幾多の苦難が待ち受けているかもしれない。ただ未来がどのようになるかは誰にもわからない。だがドラッグストア創世期の経営者たちは、確実な将来像が見えないまま、あえて何度もアメリカ流通業視察を繰り返し、躍進していたドラッグストアの経営者に面会を求め最先端の店舗を見て回った。彼らが最前線で学んだことは、ドラッグストアが国民の快適生活のために存在し、愛され、信頼されていることだった。「なんとしても国民の健康を守る店づくりをしたい」――混乱期にあった1960年代の医薬品小売業界にあって石橋幸路さんは、ドラッグストアという業態を根付かせるため多くの同志たちとともに全力を注ぎ、次世代経営者たちに多くの語録を残した。そしてこうも語っていた。「小売業にとって一番大事なことは、取引先、地域住民から“信用”されることである。そして人生を送る時には、良き友が欲しい」――鋭い眼力で医薬品小売業を見据え、国民のためのドラッグストアをこよなく愛し、生涯、友を大切した石橋さんの功績は計り知れない。(流通ジャーナリスト・山本武道)


■アメリカ流通視察で経営の極意を学んだ創世期の経営者たち


AJDの初代本部長として活躍した石橋幸路さん

医薬品販売を中心とした病気産業中心の経営から、到来しつつあった高齢社会を踏まえ高まる国民の“未病と予防”と健康創造ニーズ対応へ経営の方向を転換し、ドラッグストアという新しい業態づくりに奔走した創世期の経営者たちは、次々に押し寄せる競合の荒波に対応する業態づくりの手本として、こぞってアメリカ流通業の視察を繰り返し、経営の極意を学んでいった。

石橋さんから、日本の国土の25倍(総人口は日本の2.6倍)という広大な地で、ドラッグストアという業態が躍進を続けていることを聞くにつれて、懇意にしていたAJD会員企業のトップがアメリカ視察から帰国する日時の情報を入手し、成田空港から東京に戻る自動車の中で密着取材をさせていただいたことも再三あった。

やがて自身も、アメリカ流通視察に参加するようになり、取材したドラッグストアで体験したことは、ライトカウンセリング力のあるスタッフが常駐することだった。広い店内を歩いていると、「Hi!」と笑顔で声をかけてくれるスタッフ、そして商品を手に取ると、すかさず「May I Help You?」の声が聞こえてくる。まるで、店内モニターを見て駆け寄ってきているのかと思えるほど、実にタイミングよく話しかけてくれる。

「パッケージに記されていること以外のことも聞いてみたい」と思っても、広い店内では即スタッフは見つからない。だがロングス、ライトエイド、ウォールグリーン、CVS、ペイレス、ウォールマートやセーフウェイ等々、笑顔と「May I Help You?」の一声は、まさに“砂漠にオアシス”だと思った。

しかも処方箋を持参した生活者は、調剤ができるまで店内でヘルスケア商品を楽しく買い物ができて、気さくに声をかけてくれるスタッフの笑顔に癒される。そんな業態を目指して、創業者たちは「国民のための店づくりはこれだ」とヘルスケアステーションへの道を歩み始めたが、それはまた同時に私自身、ヘルスケアジャーナリストとして活動するきっかけとなり、今日がある。


■健康食品や健康機器の取り扱いの必要性も強調


AJDの懇親会で語り合う石橋幸路さん(写真右)、ヤマザワ薬品創業者の山澤進さん(中央)、千葉薬品創業者の齋藤茂昭さん(左):『追悼 AJDの先駆者 我らの師 石橋幸路氏』(AJD発行)から転載


石橋さんは、AJDのことを話し始めると止まらなかった。ある日は、AJDの本部長となってから体調を崩されたことを話していただいた。その内容は、1997年に亡くなられた石橋さんを偲び制作された『追悼 AJDの先駆者 我らの師 石橋幸路氏』(AJD発行)に次のように記されている。

「2年目に痛風を患い、これには本当にまいった。薬で痛みはとれたが、副作用で肝臓を悪くし身体中に脱力感が襲い、話すことも苦しかった。体調の悪い時期が半年も続きましたが、何とか仕事に復帰。このことくらいが辛い思い出。逆に嬉しかったのは、皆さん私に信頼を寄せて下さったこと、励ましのおかげで、ついつい長くやらせていただいた」

石橋さんが話されることは、いつも医薬品小売業の行く末だった。『薬局・薬店が繁盛する法』を取材テーマとしたこともあって、1984年の私のインタビューに答えて、次々に将来像を話されたが、数年後には石橋さんの話された通りになった。

急成長する業態としてあげたのは、ドラッグストア、スーパードラッグ、コンビニエンスドラッグ、処方箋調剤機能を持つドラッグストアと薬局、健康をメインとした品揃えの薬局、そして当時、クローズ・アップされていた健康食品についても触れられた。

「4000億とも5000億円ともいわれているが、私はこのうちの1000億〜2000億円は薬系で販売しても良いと思っている。その理由は、来店客に対して食事指導も含めてホームドクターのつゆ払いをすべき立場にあると思うからだ。人によっては、健食は一時のブームであって、もうそろそろ終わりつつあるという声が聞かれるが、決してそうではない。国民の健食に対するニーズは高く、市場が拡大することは世界の趨勢を見ても明白だ」

健康食品部門に力を注ぐ必要性を、ことあるごとに話されていた石橋さんは、その一方で、「健康機器の販売ルートだが、例えば血圧計のシェアについての明細な資料はないものの、医系ルートで販売されているものは別として購入者の半分強は家電ルートなのに対し薬系はわずか15%。どうして関心がないのかわからないけれども、国民の間で高まる健康意識の向上と予防へと移行しつつある医療の流れから考えても、我々の店頭が販売すればもっと伸びるだろう」と話すなど、医薬品小売業の消極的な販売姿勢に疑問を投げかけたこともあった。


■石橋さんが好きな言葉に『刎頚(ふんけい)の交わり』(刎頚の友)


石橋さんは、取材でお会いするたびに、友との語らい、人と人とのつながりの重要性を指摘された。ある日、中国の戦国時代に、生死を共にして心を許し親密な交際を続けた藺相如と廉頗のことを記した故事『刎頚の交わり』(刎頚の友)について語り始めた。物語はこうだ。

秦王と会談を終えて帰国すると、趙王は相如の功績を賞して上席家老に取り立てた。そればかりか同じ上席家老である廉頗の上位に置いた。

「わしは趙の総司令官として攻城野戦に大功をたてた。相如はもともと卑賤の者、ただ口先だけの働きに過ぎないのに、位は向こうが上だ。あんな男の下に置かれるのは、わしの恥だ。よし相如に会うことがあったら、ただでは済まさんぞ」

相如は人づてに聞くと、廉頗と顔を合わさないように心がけた。朝廷への出廷も、廉頗との序列問題が表面化しないように病気を口実にして見合わせていた。たまたま相如が外出した時のこと、遠くの方から廉頗がやってくるのが見えた。と、相如は慌てて車を脇道に引き入れて隠れ、そして相如は家臣たちにいった。

「あの秦王を相手にしても、わしは宮廷で堂々とわたりあった。まして秦王の家臣どもに対しては、まるで子供扱いにしてやったものだ。そのわしが、どうして廉将軍を恐れようか。わしは、こう思っている。あれほど強大な秦があえて我が国を攻めないのは、廉将と、このわしが頑張っているからだ。今、両虎が戦えば、必ずどちらかが倒れる。わしがこんなふりをするのは、個人の争いよりも、まず国家の問題が肝心だからだ」

これを伝え聞いた廉頗は、深く反省して相如の家を訪ねて詫びた。それを契機として二人は仲直りし、以後は「刎頚の交わり」を結んだ。

「刎頚の交わりとは、たとえ首を刎ねられても変わらない交友をいいますが、世の中とは皮肉なことに、秦王の子、遷王が即位し李牧を将軍に登用し李牧は秦王政を破ります。しかし秦王政の謀略で、遷王は李牧を裏切り者と思い殺し趙が滅び、相如と廉頗も、それぞれ燕と齋に別れ滅びていく運命となります。

刎頚の交わりは、私の好きな言葉ですが、運命、友人、後継者、そして時の流れる勢いの強さ等々、またその見方、生き方を教えられるような気がします」

さらに石橋さんは、こうも付け加えられた。

「千里の道も一歩からという諺があります。互いに一歩一歩前進しようではありませんか。これからの人生、悔いが残らないように…。知っていることも大切ですが、実践しなければ意味はない。どれだけのことを実行するか。企業は3年後、5年後、10年後にも息切れをしない体力づくりが重要になる」


■こよなくドラッグストアを愛し、友を大切にした


友を大切にする石橋さんは、多くの友を作った。昨日は猛烈な戦いを繰り広げていた敵は、今日は友。そして明日は成功事例を惜しげなく提供し、共に喜びを分かち合ってきた。

「AJDは、商品の卸業機能以外に、経営者の必要な情報や勉強という面のウエイトが高い。ドラッグストア、分業、情報システム、販売、教育、競合状況等々、幅広い様々な情報が行き交うことで、互いによい理解者、友人、親友を得られた。何でも話せる仲間がいることはありがたいことだ」

猛烈な戦いを繰り返えしていた大型店が一堂に介し、惜しげもなく互いの経営ノウハウを提供しあった背景には、「国民の健康をサポートする」という共通理念があったからだ。そこに行き着くまでには石橋さんの存在は大きかった。

石橋さんは、次世代経営者たちに多くの語録を残した。それは提言でもあると思う。石橋さんはご自身の会社のこともさることながら、常にドラッグストア業界の成長を念じていた。

「人生で幸せなことは、良き妻を持ち、良き家族と巡りあうこと、そして人生を生きていく場合、良き運に恵まれ、良き師と良き友、良い本を持つことだ。長い人生において、この三つは何十億、何百億円の財産よりも大事になるからだ。次世代経営者たちは、ぜひビジネスを成功させることと同じくらい努力して良き師、良き友、良き書と巡り合ってほしい」

石橋さんが、こよなく愛したドラッグストアは今、7兆8000億円市場を形成するまでに成長し、2025年に10兆円産業、2030年に13兆円産業を目指している。実現するためには、さらなる進化もさることながら、国民の誰もが認めるドラッグストアとしての真価を発揮してほしい。(石橋幸路さんの巻は今回が最終回)


【著者プロフィール】
山本武道(やまもとたけみち)
千葉商科大学経営学部経済学科卒。1969年からジャーナリスト活動をスタート。薬局新聞社の記者として中小の薬局、ドラッグストア分野、自然食品・ヘルスフードを取材。健康産業新聞社取締役を経て、青龍社取締役に就任。その後、フリージャーナリストとして『JAPAN MEDICINE』(じほう社)、『ファーマウイーク』(同)の遊軍記者として参加。2007年、ヘルスビジネスマガジン社取締役社長、がん患者と家族に向けたWEBサイト『週刊がん もっといい日』を開設し、編集長に就任。2007年から中国ドラッグストア経営者対象の『月刊中国葯店』(北京市)に連載中。現在、ヘルスケアワークスデザイン取締役会長、モダン・マーケティング代表。『週刊がん もっといい日』編集長、シード・プランニング顧問。元麻布大学非常勤講師。