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第6ストーリー<ぱぱす創業者・根津孝一さん>

ドラッグストアを国民に認知させるためにショーの開催を思いついた


根津孝一さん

今日のドラッグストア、そしてJACDS設立には初代事務総長の故・宗像守さん、ドラッグストアバイゴー創業者の明神正雄さんが、需要な役割を果たした。ただJACDSの誕生を見届けて明神さんが身を退かれてからJACDSの活動のバトンをタッチされたのが、下町を中心に店舗展開するドラッグストアぱぱす創業者の根津孝一さんである。文字通りにJACDSの屋台骨を宗像さんと共に背負ってきた。

「突然のこととはいえ、明神さんが退かれたのは、とても痛手でした。何としても産業化が認められたドラッグストアのこれからを思うと、初代会長の松本南海雄さんと宗像さん、それに参加された会員企業のためにも、私のできる限りのことをしたいと思いました」

根津さんは、当時のことを次のように話している。

「JACDS設立には、ドラッグストア経営者が、あっという間に全国の錚々たるメンバーが集まり1本化し産声をあげたのは、 宗像さんと松本南海雄さんの力…。私は単なる創設の支え役でした」

これまで医薬品小売薬業界には、AJDと NID の二大VCチェーンが創設されていたが、50年の歴史をもってしても一本化できなかった。だが根津さんは、松本さんと宗像さんの絆づくりに力を入れ、「ドラッグストアの役割は地域住民の健康づくりのためにあること」、「来店客の生活ニーズに対応した店づくりの必要性」も説き、組織づくりに重要な役目を果たし多くの経営者たちが集まった。

「JACDSは発足しましたが、問題は運営資金をどうしようかでした。会員企業からの会費以外のことを考えた時に、思いついたのがドラッグストアショーの開催で、ドラッグストアを広く国民への認知にも役立つことにもなるし…」と根津さんは、開催に向けて即行動した。そのヒントは、アメリカにあった。

「小田薬局の小田兵馬さんと宗像さんと私の3人で、全米ドラッグストア協会を訪問しショーへの協力体制をまとめ、ラスベガスのコンベンションホールで開催されていた商品展示会を見学しました。われわれの経営にも役立つ多くのヘルスケア関連用品が出品され多くの関係者で賑わっていました。これはJACDSに絶対に役立つと思い、宗像さんが中心になって準備を始めました」

第1回目は、2001年2月に開催された。実行委員長の根津さんは、「最初は利益を確保できるかは未知でしたが、ドラッグストアの存在を広く国民に知らせたい一心で、マスコミ、タレント、文化放送に協力していただき、人集めは宗像、根津の人脈…。文字通りに手作りでした」と語っており、今年も24回目が開催される。

「ドラッグストアが社会的使命を果たすためには、生活者に支持され、選ばれる店づくりにかかっている」―下町に暮らす人たちの健康づくりと笑顔のために、ぱぱすを創業した根津さんは、「誰もが幸せになってほしい」と願っている。