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第4ストーリー<ハックイシダ創業者・石田健二さん>

ドラッグストアづくりはペガサスクラブ主宰者の
渥美俊一先生との出会いで始まった


石田健二さん

「えっ、これがドラッグストア?」―1979年、神奈川県横浜市戸塚区に工場の跡地2300坪の敷地を借り500坪の建物を建てて、売り場面積400坪と屋外売り場50坪(残りは200台収容可能な駐車場)の巨大なスーパー・ドラッグストアがオープンした。

店内には、OTC 、健康食品、H&B(化粧品、トイレタリー、ベビー用など)、グロサリー(日用雑貨、加工食品、DPEなど)、バラエティ(家庭用品、小型家電など)、インテリア(ペンキ、照明、スリッパなど)、ホームケア(DIY、園芸用品など)、カー用品、スポーツ、ペットフード等々…ドラッグストア+ホームセンター型のハックファミリーセンター戸塚店だ。

1932年生まれ、今年92歳になるハックイシダ創業者の石田健二さんが、ドラッグストアづくりにチャレンジするきっかけは、1965年にチェーンストア経営研究団体のペガサスクラブに入会し、主宰者の渥美俊一氏との出会いだった。

「1968年にペガサスクラブ主催の米国西部セミナーに初めて参加しました。参加者は300名ほどでしたが、ダイエー、イオン、イトーヨーカ堂など、後に日本の流通革命の先駆的企業として大成長を遂げる創業トップの参加もみられました。

また初めてアメリカに来て、初めて見るドラッグストアに興奮と衝撃を受けたことを改めて思い起こしています。そして日本の伝統的薬局近代化の将来の姿を夢見る思いだったと記憶しています」

1970年に旗揚げしたAJDに参画し、多くの友と出会った石田さんは、1973年10月に千葉市内に地元の千葉薬品とAJDとの共同開発によるモデル店として、500坪のスペースのフード&ドラッグ型スーパー・ドラッグストアをオープン。250坪のフード部門が千葉薬品、250坪のドラッグ部門は石田さんが責任者となったことも、ハックイシダのドラッグストアへの道を拓くことになり、この経験が3年後の1976年に“ドラッストア元年”を宣言し110坪のハック杉田店、そして、さらにその3年後の1979年に450坪のハックファミリーセンター戸塚店づくりへの引き金となったのだ。

石田さんとの交流は50年に及ぶが、つい最近、お会いする機会を得て、ドラッグストアづくりを始められた頃のことをお話しいただき、数々の貴重な資料や写真を拝見させていただいた。取材させていただく中で、「アメリカの日常生活の中で、もしもある日突然にドラッグストアがなくなったとしたら、国民の日常生活は、どれほど不便になるかわからない。健康づくりのための商品や食品もあって、処方箋調剤と併せて24時間対応してくれるドラッグストアは、まさしくアメリカの生活者にとって欠くことのできない存在なのです。今日、日本のドラッグストアも同じことが求められていますね」と話されていた。

そして石田さんは、「これからのドラッグストア経営にはDXは欠かせない。スマホ1つで様々な情報が収集でき、商品もデリバリーで自宅に届く時代になったからだ。オンライン診療、電子処方箋による調剤に服薬指導等々、便利になった。でもどんなにデジタル化が進もうとも、リアル店舗には、笑顔のスタッフが常駐していて、心のケアにも応じてくれて温もりが得られる。それがドラッグストアの店頭にある」とも語っておられた。

これまで石田さんが流通視察で渡米したのは、実に80数回以上を超えている。その間に、全米ドラッグストア業界でも有数な企業の本部を訪ね、創業者たちと交流を重ねた日々を、昨日のことのように話していただいた。拝見させていただいた視察録や写真には、一つ一つ年月日が記載され段ボール箱に整理され入れられていた。

これらの資料は、まさに石田さんの人生そのものであり、また日本のドラッグストアの歴史でもある。できうるならば『ドラッグストア・ライブラリー』として、ドラッグストアを志す人たちのためにも“永久保存”していただきたいと思った。