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第5ストーリー<キリン堂創業者・寺西忠幸さん>

夜遅く最後のお客さまが店を後にした時、
1日も早く良くなっていただきたいと心の底から願いました


寺西忠幸さん

寺西さんとの出会いは、協業グループのAJDがチェーン大会開催翌自の業態開発セミナーだった。アメリカ流通業の最新情報を紹介しながら、これからの業態開発がなぜ必要なのかをテーマに講師をされていた寺西さんは、会合で上京された際にお会いするようになったものの、キリン堂の誕生秘話についてお聞きするチャンスはなかったが、その日は突然やってきて、創業からの歩みをお話ししていただくことになった。

「名もなく金もコネもない青二才が、企業を立ち上げるなど、無謀とも思えますが、希望と情熱に突き動かされ、まさに寝食を忘れて無我夢中で働いた時代。朝8時にオープンし、閉店は夜の9時までが創業当時の営業時間でしたが、閉店後に来られたお客さまに申しわけない気持ちで、もう一人待ってみよう…と毎晩10時、11時と働きました」

1955年5月10日。キリン堂が創業した日である。1929年3月1日生まれ、95歳の寺西さんが、大阪市都島区善源寺に15坪のキリン堂薬局都島店をオープンしたのは、今から69年前のことだ。開店当初のことを尋ねた際にお話ししていただいたのが冒頭の言葉だった。

子供のころに、死の寸前にある肺病患者のもとに自転車に乗り重い酸素ボンベ背負って病院に届ける仕事を続け、常に「損得よりも善悪を考えなさい。相手のことを考えなさい」と寺西さんに語り続けてきた父親の背中を見て育ったことを守ってきた寺西さんは、薬剤師となってからは、困っている人たちをサポートし笑顔を取り戻すことに専念してきた。

「人は出逢いのドラマの中で生きている。人間と人間との出逢いを大切にし、その中に価値を創造する生き方を行動理論とすべきである」と自身の歩みを回顧されていた寺西さんは、次世代経営者には「過去を振り返り時代に対応する理性に対し、将来を見据え物事を進める感性を持ってほしい。そして大切なことは、来店客の健康づくりをサポートするように経営者自らも健康体でなければならない」とも語っていた。

「25年前、各社の利害を超えて故・宗像守事務総長のリーダーシップの下に結集したJACDSは、今では次世代経営者が中心となりドラッグストアの新たな価値創造を目指して取り組んでいます。“志高き人々の集団”として時代の変化、多様化するニーズにも柔軟に対応し、業界を強く引っ張っていってくれるものと期待しています」とJACDSの二代目会長を務めた寺西さんは、JACDS創設25周年記念誌に寄稿されている。

寺西さんは、JACDSの二代目会長としても活躍された。とても温厚な人格で、東洋医学に造詣が深く、むろんドラッグストア経営者として店舗運営にも手腕を発揮してきた。私の手元に、2021年1月14日 寺西忠幸と直筆でサインしていただいた書『キリン堂60年の歩み』がある。寺西さんが92歳になられた際にいただいた。

同書には、どんなに企業規模が大きくなろうともドラッグストアは、来店客のために存在することが記されていた。その原点は、「創業初日、夜遅く最後のお客さまが店を後にした時、1日も早く良くなっていただきたいと心の底から願いました」――キリン堂創業者の寺西さんご夫妻が歩んできた人生そのものにあると思った。