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〜プロローグ
“進化”から“真価”へドラッグストアストーリー・素晴らしき経営者との出会い



■若い人にこそ、学んでほしい「温故知新」


人は、さまざまな出会いがあり、そして教えを乞い日々精進していく。記者生活50有余年を過ぎた今、改めて自身の辿って来た道のりを追うと、出会った経営者の方々は、一介の専門メディアに所属する立場からは想像もつかない要職に就かれていた。記者という二文字の名刺をもち、突撃取材に明け暮れたが、ほとんどは挫折することが多かった。いきなり大企業のトップに、「取材をさせてください」とは、とても無理な話ではあったが、会見会場で、パーティ会場でトップに話しかけ、なんとか秘書さんの名前と連絡先を聞きだして取材をさせていただいたことも再三あった。

こうした経過を辿り、多くの創業者にお会いしたストーリーを、今年3月に『ドラッグストア真価論〜誰もが健康で幸せな生活を実現するために』を、ある出版社から発行していただいた。物語は、すべてノンフィクションであり、ドラッグストアづくりに全力を注いでこられた経営者たちを取材したもので、今日までの隆盛は53年間の記者生活を振り返れば実感している。

小さな店が、みるみる“進化”を遂げ、規模を拡大していったことは事実だ。ただ、よくよくドラッグストアのこれからを見据えれば、これまでと同じように規模の拡大に走る事が正解なのだろうか。これから、生活者が「あのスタッフがいる店にまた来たい」といってくれるためには、決して店舗の広さ、価格の安さ、便利性、豊富な品揃えに、むしろ創業者たちが一人ひとりの来店客のために、心を添えて相談に乗ってきたことを忘れてはならないだろう。

今やドラッグストアの真価が問われる時代が到来しているからこそ書名をあえて“進化”ではなく“真価”と名づけた。その答えは、『温故知新』にあると思う。創業者がいかに苦難の道を歩んで来たかを知ってほしい。若い世代の中には、きっと、「昔の道を辿って何なの?参考にならない。新しいことにチャレンジすべきだ」との声は少なくないだろうが、あえて今回から多くの経営者にお会いし学んできたこと――それは経営ノウハウであり、人財であり、商品力である。ヘルスケアを中心とした新しい市場創造に結びつけていただければ幸いだ。


■わたしが記者になって学んだこと


そもそも私が記者生活を始めたきっかけは、1969年12月に医薬品小売業の専門紙を発行する新聞社へ入社したのが始まりだった。当初は編集部ではなく営業部としての配属だったが、渡された新聞を読むと、記者が各地の薬局を取材し紙面に紹介する『ここにこの店』の記事が目に飛び込み、一気に「こんな取材をしたみたい」と思い、誰の指示を得ないままに、休日になると勝手に薬局に飛び込み取材を繰り返していた。

むろん紙面で紹介されることはなかったが、当時の編集長には私の取材記事を手渡していたこともあって目に通し、文章を直していただいていた。直しは原型を留めないほど修正されていた。このときに私が勝手に執筆した記事を無視されていたら、間違いなく私の今日はなかったに違いない。

編集長は、勝手気ままに動く私を叱るどころか、好きなようにさせてくださった。そしてさらに、私の拙い迷文までも直しても、良いとも悪いとも話していただくことは一度もなかった。その編集長がただ一言、近くの居酒屋に連れてくださった際に、「記者は、これはと思ったことに興味を持ったならば、会ったことことのない人であっても会えるまでは、アポを取り続けて取材していくことだ」と話されたことがあった。しかし文章の書き方については、一度も教えてはいただけなかった。

何もわからぬままに入社した私にとって、編集長との出会いこそが記者生活の第一歩だったと思う。1969年12月のある日、緊張した面持ちで出勤した新聞社は銀座にあった。午後になってから私の記者生活に多大な影響を与えてくださることになる先輩記者が、「おはよう」と出勤されてきた。ボサボサの頭髪をかきながらトレンチコートに渋いネクタイの先輩は、「よく来たね」と笑顔で話しかけてくれたが、トレンチコートを脱ぐと、ワイシャツに別のネクタイを締めておられていた。「とてもユニークな先輩」と感じたとのが、初印象だった。

先輩記者は、ほとんどメモを取らずに記事にしていた。文章はとてもわかりやすく確信をとらえていたと先輩記者の文章力を高く評価していたから、どうすれば文章力を見つけることができるのかいろいろとやってみたが、結論は何度も記事を書くことだと教わった。そこで、まずは先輩記者が書いた記事をなんども読み返し、真似をしたこともあった。

次回から、わたしが出会ったドラッグアスア作りに奔走し成功していた創業者を紹介することにしたい。

ヘルスケアジャーナリスト・山本武道


【著者プロフィール】
山本武道(やまもとたけみち)
千葉商科大学経営学部経済学科卒。1969年からジャーナリスト活動をスタート。薬局新聞社の記者として中小の薬局、ドラッグストア分野、自然食品・ヘルスフードを取材。健康産業新聞社取締役を経て、青龍社取締役に就任。その後、フリージャーナリストとして『JAPAN MEDICINE』(じほう社)、『ファーマウイーク』(同)の遊軍記者として参加。2007年、ヘルスビジネスマガジン社取締役社長、がん患者と家族に向けたWEBサイト『週刊がん もっといい日』を開設し、編集長に就任。2007年から中国ドラッグストア経営者対象の『月刊中国葯店』(北京市)に連載中。現在、ヘルスケアワークスデザイン取締役会長、モダン・マーケティング代表。『週刊がん もっといい日』編集長、シード・プランニング顧問。元麻布大学非常勤講師。