眼下にはたおやかに流れる漓江、背後には雄々しい岩山が連なる中国・桂林。その水墨画のような風景は中国三大景勝と言われ、世界的な観光名所となっている。しかしかつては観光以外の産業に乏しく、人々は貧しい生活を強いられていた。そうした中でサラヤは桂林固有の植物「羅漢果」の研究に取り組む。難しいとされてきた栽培方法を確立し、ノウハウを全て現地に開放した。これが産業技術の向上と雇用を促し、かの地の活性化に大きく寄与したのである。連載最終回の今回は、サラヤの理念に共感してパートナーシップを結ぶ現地の方々を紹介する。(取材と文=八島 充)
最初に訪れたのは、桂林のバイオベンチャーが入る施設の一角にある「桂林伯林生物技术有限公司(=桂林伯林バイオテクノロジー有限公司)」。植物の機能性を研究し、苗の培養・繁殖から販売までを手がける会社である。
最高責任者の李伯林氏は、サラヤの村田氏(取締役グローバル生産本部天然素材研究所所長)と共に、広西師範大学で羅漢果を研究してきた生物学の権威。研究を実践に移すため大学を退き、2000年に同社を立ち上げた。現在は羅漢果のみならず様々な植物の培養・繁殖を手掛け、桂林の苗産業の中軸を担うまでに成長している。
李氏による羅漢果の研究は、大学での期間を含め30年以上に渡る。病気に強く、成長が早く、さらに良質な果実が豊富に実る苗を数多く輩出し、近く最新(第15号)の品種もお目見えするという。
培養された羅漢果の苗は、根が張ってきた状態で同社が運営する試験農場に移される。一つひとつの苗をスタッフが丁寧に育て、販売可能になった状態で出荷する。市場に出回る羅漢果の苗のほとんどが同社のもので、その売上は相当なものだと想像できる。
ただ、同社とサラヤの間に資本関係はない。羅漢果関連産業の活性化と、その健康成分を世界中に広めることにより、「人々の健康と幸福に貢献する」という共通の目的が双方を結びつけている。利害関係を超えた友情が、そこにある。
次に訪ねたのは、羅漢果のお茶などを製造販売する「林中仙」。そもそも羅漢果は古くから風邪や喉の症状に効く漢方薬として知られており、同社はその伝統と文化を受け継ぎ事業を展開している。
転機が訪れたのは、サラヤが羅漢果の栽培と甘味成分の抽出に成功した90年代。その甘い果実がにわかに注目され、同社事業も右肩上がりに成長していく。近年では同社に追随する競合も増えているが、品質第一かつ伝統的な製品づくりで他と差別化を図っている。
こだわりの1つが、羅漢果の乾燥工程だ。他社が100℃の高熱で乾燥時間を短縮させているのに対し、同社は60度に保たれた窯の中で10日間かけてじっくりと乾燥させる。こうすることで栄養成分が損なわれず、風味豊かなお茶の原料になるという。
同社オーナーの範天環(ハン・テンカン)氏が羅漢果の栽培に携わったのは1972年で、当時17歳。以来、羅漢果一筋の人生を歩み、桂林の農業と流通の発展に貢献してきた。その功績が認められ、中国の人間国宝に相当する称号も得ている。
サラヤとの関係は、同社が桂林工場を設立した頃から続く。前出の村田氏とは当時から、羅漢果に最適な栽培環境や、栄養成分の高い実の収穫時期などの情報を交換してきた仲だ。
もちろん、両者に主従関係はなく、「羅漢果」の有用性を世界に発信するという思いのみを共有している。なお、同社自慢の乾燥羅漢果を煎じたお茶は、サラヤが東京・神宮前で運営する「らかん・果」でも味わうことができる。
サラヤの村田氏は年に複数回中国・桂林に渡り、自社の工場、契約農場に赴く傍ら、伯林生物の李氏、林中仙の範氏を訪ね、白酒を酌み交わす。
李氏は、「サラヤさんの品質へのこだわりは我々の事業の指標」「共に切磋琢磨してきた田村氏は、様々な情報を交換し合う最良のパートナーです」と語り、範氏も、「日本人はものづくりに対する厳しい目を持っていますが、サラヤさんはそれを上回るレベルで、当社の志と一致しています。羅漢果に身を捧げて今年で51年が経ちますが、今後もサラヤさんと一緒に羅漢果の文化を守り、次代に継承していきたいと思います」と語っていた。
サラヤにとっては長年に渡り羅漢果を守り育ててくれた恩があり、李・範の両氏にとっては、地元産業をバックアップしてくれた恩がある。そうして結ばれた固い絆に、経済合理性を超えた真の日中友好の姿をみた。(了)
コラム「羅漢果はモンクフルーツ?それともドクターフルーツ?」(↓サムネをクリック!)
おまけ動画「桂林市街を流れる夕暮れの漓江」(↓画像をクリック)