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新連載 羅漢果の里・中国桂林に行ってきました!その①
「社会問題をビジネスで解決する」

カロリーゼロ甘味料「ラカントS」知られざる誕生秘話!

そもそも石鹸や洗剤、殺菌消毒剤などで知られるサラヤが、「ラカント」という食品を手掛けるようになったのは何故か。そのルーツを探るべく同社の歴史を遡ってみよう。

アメリカの占領下から解放されたばかりの日本は、衛生状態が悪く赤痢などの伝染病も蔓延していた。これをなんとかしたいと考えた創業者の更家章太氏は、ヤシ油を原料とした石鹸に殺菌成分を配合した日本初の薬用石けん液を1952 年に発売する。これがサラヤの始まりである。

高度成長期には、 石油系合成洗剤による環境汚染が深刻化するが、これに対しても更家氏は、ヤシの実由来の植物系洗浄性成分を用いた「ヤシノミ洗剤」を開発。植物性洗剤の先駆けとなり問題解決を提案してきた。その後も同社は、「社会問題をビジネスで解決する」 「解決手段がないなら、我々の手でつくりあげる」という信念を貫き、我が国の公衆衛生と生活者の健康を守ってきた。

80 年代以降は、経済発展に伴う飽食の時代を背景に生活習慣病患者が増えていく。中でも糖尿病は一度罹患すると亡くなるまで治療が必要で、社会保障制度に与えるマイナスの影響も大きい。

また糖分を制限された食事は味気なく、病者の満足度は乏しい。そんな問題に着目した更家氏は、血糖値上昇の一因である砂糖の代替となる甘味料の開発を志す。当時から代替品として合成甘味料が存在したが、同社は、より安全な素材を使用し、かつカロリーゼロの製品を目指した。「ビジネスで解決する」という信念に従ったことが結果的に、食品市場の参入につながったという訳である。

村田氏

更家氏の命を受け、世の中に無いカロリーゼロ甘味料の開発に取り組み、「ラカント」の生みの親となったのが、同社で洗浄剤の研究・分析をおこなっていた村田雄司。現在は取締役グローバル生産本部天然素材研究所所長を務め、社歴は今年で40年になる。

当時の甘味料でカロリーゼロの素材は皆無で、製品化の最大のネックだった。文献を読み漁った村田氏も一時は根をあげ、更家氏に「世の中にカロリーゼロの甘味料などありません!」と告げたが、「世ないなら作り出せ!」と返され、思わず頭を抱えたそうだ。

そんな時、日本の産官学共同の研究チームが、とうもろこし由来のカロリーゼロ甘味成分「エリスリトール」の製造に、世界で初めて成功したというニュースが入る。その素材に真っ先に飛びついたという村田氏は、「エリスリトールというボディがなければ、今のラカントもありません。私にとっても、ここぞというタイミングでした」と語っている。

しかし、エリスリトールの甘さは砂糖の約7割で、舌が感じる甘味の持続時間も短い。何かをプラスする必要があったが、植物由来のステビアや甘草など様々な素材を検討するも、味の点で砂糖にはるかに及ばない。

あれこれ悩みながら偶然入った薬局で、「羅漢果のど飴」を目にする。どうやら果実のようだが聞いたことがない。文献を探すと日本人の名前があり、その方に急ぎ会いにいくと、研究はすでにやめておられた。「興味があるなら、あなたがおやりなさい」と言われ、村田氏は、一も二もなく首を縦に振った。

「羅漢果」は、中国の桂林に自生するウリ科の植物。昼夜の寒暖差が大きく、強い紫外線を浴びる環境下で育ち、ビタミンやミネラルが豊富な大地から栄養素を取り込み、余すことなく果実にたくわえるという。

ただ、原生種は高山の斜面などに生えるのみで、昆虫による受粉もできない。栽培が難しいために貴重な植物として扱われていた。また、これまで甘味成分として注目されたこともなく、中国では古くから漢方原料として使用されていた。実を乾燥させ煎じて飲めば、風邪などの症状に良いと伝承されてきた。

これ以上の情報を日本で入手できないと考えた村田氏は意を決して中国・桂林に渡り、現地の大学と協働して羅漢果の量産化を目標に研究を開始する。今から33年程前のことである。

現在の「ラカントS」

現地スタッフと昼夜を共にして研究を重ね、伝承の中に埋もれていた果実を学術的に解明し、成分に含まれる様々な働きを学会に論文として発表した。さらに優良品種の培養技術と、安定的な栽培方法を編み出し、果実から甘味成分を抽出することにも成功した。

かくしてサラヤは 1995 年に天然素材&カロリーゼロの自然派甘味料「ラカント」の販売を日本で開始。その 4年後の 1999 年にはサラヤの特許成分である「高純度羅漢果エキス」の抽出技術を確立し、より砂糖に近い味の「ラカントS」へと改良して現在に至る。

ちなみに「高純度羅漢果エキス」 とは、新鮮な生の果実から甘味成分のみを分画・精製し、砂糖の約 300 倍 の甘味を実現したもの。同エキスは 1kg の羅漢果から10gつまり、わずか1%しか抽出できない貴重なものである。

羅漢果の栽培と抽出技術を確立し製品化したサラヤだが、観光産業しかなく貧しかった当時の桂林を推し量った更家氏は、「羅漢果は桂林の財産。外国の企業が独占すべきではない」とし、栽培から製造に至る全ての技術を開放した。

羅漢果の栽培が雇用の創出にも一役買っている

1998年に桂林(の農業)の活性化に向けたプロジェクトを立ち上げ、桂林政府との調印式の模様は人民日報にも大きく取り上げられた。その後は現地の農家や研究を共にした大学教授らが各々に技術を活用して起業し、羅漢果の大量栽培とエキスの抽出を開始する。そうして桂林は、羅漢果を軸にした産業都市へと変貌していくのであった。(次回へ続く)

※次号は、羅漢果の栽培地と工場をレポートします