2024年6月25日(火)曇りのち晴れ マイケル・ジャクソン(享年50)の命日です。あれから早15年。
「もう、身体がガタガタだよ…」
最近の検査でがんが見つかった A さんの言葉だ。80歳の後半に差し掛かって、また新たな病気との付き合い。つい先日も体調の不良で入院したばかりでこの事態である。一人暮らしで身寄りがない A さんのような高齢者にとっては、 毎日が「命をけずる」 生活の繰り返しという。 行く末を案じると A さんでなくとも「この先の不安」は大きい。
一方 B さんはつい先日入院先から自宅に戻ってきた。もともとの持病で腰痛や便秘症などがあり、「耐えられないくらい酷い腰の痛み」に救急車で病院に行ったが、残念ながら断られてまた別の病院へ入院していた。 入院先の病院やアパートでも「少し神経質な人」と映るが、 一人暮らしで持病を抱え、若い時はいざ知らず今の歳になってみると「なんとも心細い」と語っていた。
アパートで娘さんと二人暮らしの C さんも同じような生活だ。 「この年になって急に腰が悪い、膝が痛い、いつも病院通いの毎日」で「生きていても仕方がないが、かといって死ぬわけにもいかない。 子供たちに迷惑をかけるわけにもいかないので、こうして一人で頑張っている」 という。 子供たちのためにと懸命に働き続けた60年、病気もせずに頑張ってきた。…というより、少々の不調でも気力と若さで乗りこえてきた。 そのツケが今になって身体の中から悲鳴を上げている。
地域包括支援センターで多くの高齢者と接していると、 こうした「人生の悲哀」に巻き込まれる自分を発見する。 直接の家族ではないのでまだいいのかも知れないし、 一緒に同居する家族にとってはもっともっと、毎日がその連続だろう。 あるご婦人がこうも語っていた。
「主人が口から食べられないので、わたしはこっそりと食べています」と。 家族を気遣い、その介護を繰り返し、 そして自分自身もひっそりと生活をする。 そういう状況や風景を思うと、ますますどうにかしなければ…と焦燥感を感じてしまう。
2000年から始まった介護保険制度はこうした高齢者に対応して創設され、福祉用具や介護ヘルパー・デイサービスなどの、人的資源や社会資源の提供を行っている。 そして多くの高齢者がその恩恵に浴してもいる。
とはいえ、人生の悲哀を解消することになっているのかと言えば、 正直なところ自信がない。 人間の身体は当然ながら壊れたところを修理するのとは訳が違う。 からだの不調と同時に、 傷ついた心や生きがいなどの目に見えない高度な生活感で成り立っている。 それを補うのはやはり「人・ヒト・ひと」である。
おいしい料理を食べていい気持ちにはなるが、そこに親しい人がいて楽しい語らいがあれば、もっとおいしく食べることができる。つい先日の老年薬学会で、 東京医科歯科大学の摂食嚥下のスペシャリスト戸原教授が語っておられた。そして、「おいしく食べるには機能回復と同時にスタッフが”ひと肌脱ぐこと”が大事です。」と教えていただいた。どうやらそこにヒントがありそうだと感じる。
さて今日もひと肌脱げるか・・そんな気持ちを奮い立たせて、職場に足を向けている。