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…一人前?ケアマネ福田英二の徒然日誌その9

2024年5月16日(木)晴れ 昭和28年(1953年)の今日、NHKが大相撲のテレビ中継を開始しました。

人のお世話をしているとだんだんと感覚がマヒしてくる。「やってあげることが一番」と思い込んでしまうのだ。はじめはだれでも「出来ないところをちょっとだけやってあげる」と思っているが、次第に「どんなことでもできる専門職」に変わっていく。つまり「何でもできる専門職」を自任して慢心してしまう。


表現は批判的に聞こえるが、「教えることが専門職の教師」もよく似ている。なりたての教師は「生徒に学ぶ」と誰しもが心に刻んで教壇に上がる。だが次第にその立場が逆転して、私が教えれば有名校だって行ける…と、思い込んでしまう。スポーツにもそんな監督がパワハラや熱血指導で事件を起こしてしまう。とかく専門家にありがちな「勘違い」である。

そんな慢心が自分にもあると最近は感じる。よくよく考えれば当たり前なのだが、できない自分が恨めしい。初めての職場で、はじめての環境で、そんなにできるはずもないのにどうしても肩に力が入ってしまう。他人には許せても自分には許せない。そんな慢心が、知らないうちに心のどこかに巣くっているのだ。

今日はそんな自分を振りかえる良い機会だった。

Aさんは30年前に事故で両足を失い、それ以来常に車いすの生活である。若いころはそれでも努力して、障害はあるが「何でもできる」ようになったという。車いすでどこでも出かけることができるし、洗濯も炊事も困ることはない。車も運転できるしスポーツだって楽しむことができる。TVの取材を受けたこともあるそうだ。

そんなAさんが次第に年を取ってきて「やってもらうことが増えた」。そうなってくると次第にやってもらうことが「素直にうれしい」と感じるようになったという。介護保険でヘルパーさんが来てくれる。障害サービスで病院も受診できる。

その反面「昔はこのアパートの住民がみんな名前も素性も知っていて、挨拶をしたもんです。でも今ではほとんど挨拶もしないし、交流もない。寂しいものです」と感じるようになった。


一人で何でもできる、一人で生きていける。その結果が孤立を招いているのかもしれない。

そういえば昔は「一人前」という言葉があった。そしてこの一人前には「老練」という言葉も併せて使われていたように思う。

地域包括ケアシステムは「住まい・医療・介護・予防・生活支援が一体的に提供できるように」と定めている。Aさんのこの言葉には、一人で何でもできることと同時に「お互いの」という公衆衛生の言葉が隠れているように感じた。私は、まだまだ半人前だ。