
「大丈夫?」「そろそろ休もうか」。炎天下のグラウンドや屋外で働く職場で、こんな声を掛け合うきっかけを、小さなシールがつくる。化粧品・健康食品を展開するファンケルがTOPPANと共同開発した「示温(しおん)シール」は、肌の表面温度(体表温)の変化を色で知らせる製品だ。電源もアプリも必要なく、本人だけでなく周囲の人も、温度の変化を視覚的に確認し、暑さへの注意や声掛けのきっかけにすることができる。これまで学校や屋外の職場などで実証を重ね、2027年5月の上市を目指している。開発の狙いは体温を測る道具を増やすことではない。暑さによる不調を本人の自覚や申告に任せず、周囲と気づきを共有し、休憩・水分補給・身体の冷却へつなげることだ。ファンケルはこの役割を、言葉のいらない「気づきのトリガー」と位置づけている。(構成・文責:八島 充)
総務省消防庁によると、2026年5~9月に熱中症で救急搬送された人は全国で7万7515人(速報値)。前年の確定値10万510人より減少したとはいえ、なお多くの人が暑さによる健康被害を受けている。熱中症は、めまいや大量の発汗、頭痛、倦怠感などの症状が現れることがあり、異変への気づきや対処が遅れれば重症化につながる。



職場でも対応が強化された。2025年6月1日に施行された改正労働安全衛生規則では、一定の暑熱環境下での作業について、熱中症のおそれがある人を早期に発見する体制、対処の手順、関係者への周知を事業者に求めている。厚生労働省が示す考え方は「見つける」「判断する」「対処する」。だが、本人が不調を自覚しにくい場合や、周囲が異変を見分けにくい場合、最初の「見つける」が難しい。
ファンケルが着目したのも、この見逃しの問題だった。同社は「正義感を持って世の中の『不』を解消しよう」を創業理念に掲げ、美と健康の領域で見過ごされがちな不安や不便に向き合ってきた。身体の変化に本人も周囲も気づけず、対処が遅れる。この「不」を、誰にでも分かる色に置き換えられないか…。示温シールの開発は、その問いから始まった。
開発担当者の胸には、高校時代の痛ましい記憶が残っている。柔道部の後輩を労作性熱射病で亡くした経験だ。当時15歳だった後輩の死を機に、「いつか暑さの中で生じる身体の変化に、本人や周囲が気づくきっかけになるものを作りたい」と考えてきた。そうした思いが、肌に貼るフィルムと、温度で色が変わるインクを組み合わせる発想につながった。
示温シールには、TOPPANのフィルム製膜技術による肌に貼れる薄いフィルムと、温度に応じて色が変化する特殊なインクが用いられている。前腕の外側などに貼ると、体表温が約34度で変色し始め、約36度で最大変色する設計だ。平常時の色との違いを視覚的に比べられるため、数字を読み取らなくても変化を認識しやすい。小さな子どもや日本語が得意でない人も、同じ合図を共有できる点に特徴がある。

もっとも、体表温と身体内部の温度は同一ではなく、変色の程度には個人差もある。シールは熱中症の発症や重症度を判定する医療機器ではない。色が変わったら注意を払い、声を掛け、休憩や補水を促すための目安だ。色が変わらなくても体調に異変があれば、直ちに活動を中断し、必要な処置や医療機関への相談を優先する必要がある。
もう一つの開発課題は、実際に使い続けられる品質だ。汗や水にさらされ、腕を動かす場面でも剥がれにくいことと、肌への負担を抑えることの両立が求められる。ファンケルは皮膚科学に基づく知見を生かし、TOPPANとともに密着性、耐汗性、色の判別しやすさの改良を進めている。使い勝手を磨くことも、現場での予防行動につなげるための重要な条件となる。
最初の実証の一つは、2024年10月に横浜市内の小学校2校で行った取り組み。児童がシールを貼って課外活動に参加し、教員と児童の双方に使用感を尋ねた。会社資料では、回答した教員7人のうち約85%が好意的に評価し、児童40人は全員が色の変化を確認できたと回答した。一方で、剥がれにくさには改善の余地も見つかり、製品改良につなげている。
実証の場は保育園、放課後等デイサービス、スポーツ、屋外イベント、飲食店へと広がった。2026年6月には、炎天下で演奏する機会のある早稲田実業学校高等部の吹奏楽部員に試験提供。プレーする選手だけでなく、応援する人にも暑さによる健康リスクがあることに目を向けた。同年8月には松屋銀座の屋上ビアガーデンで、スタッフが毎日シールを使い、色の変化が休憩や水分補給のきっかけになるかを検証した。



実証現場からは、色の変化をきっかけに熱暑時の仕組みを説明しやすくなったという教員の声や、勤務シフトにこだわらず休憩を促せたという外食現場の管理者の声も寄せられている。こうした反応が示すのは、シールの色そのものより、色を見た後に人がどう動くかが重要だということだ。
ファンケルが次の課題に据えるのは「行動設計」である。現場では、シールの変色を確認したら周囲が声を掛け、休憩・補水・冷却を行い、休憩後も変化が続く場合には活動の継続を見直す。こうした一連の対応を、学校なら教員、職場なら管理者、イベントなら運営者が無理なく実践できるルールへ落とし込む考えだ。シールだけを配っても、利用する側に次の行動が共有されていなければ、価値は十分に発揮されない。
そのため、同社は教育機関、自治体、企業、イベント運営者らとの「共創」を重視する。ファンケルとTOPPANが製品の品質と改良を担い、導入する現場が使い方や声掛けのルールを整え、利用者の反応を確かめる。年齢や言葉の違いを超えて伝わる「色」という記号を共通の合図にできれば、子ども、高齢者、暑熱環境下で働く人、スポーツ観戦者などへ活用の幅を広げられる。イベントやチーム名などのロゴ、デザインを、シールに印字する展開も検討中だという。
2027年5月の上市を目指す示温シール。現在は商品化に向けて、粘着性や肌へのやさしさに加え、色の変化が実際の声掛けや休憩行動にどこまで結びつくかを検証し続けている。暑熱リスクをゼロにできると約束するものではないが、体表温の変化を色で供給し、暑さへの注意や声掛けのきっかけを、誰もが共有できる仕組みとして、現場での役割は小さくない。
暑さによる健康被害を「本人任せ」にせず、「周囲と声を掛け合って防ぐ文化」へ。ファンケルの挑戦は、肌に貼る小さな一枚から、暑熱対策のあり方を変えようとしている。(了)