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【連載】薬剤師・紗耶華の奮闘記⑥/優しさとお節介の境界線


本連載の筆者・三浦紗耶華さん


【連載】薬剤師・紗耶華の奮闘記⑥
優しさとお節介の境界線


ダライ・ラマ14世は「この世における私たちの第一の目的は、他人の役に立つことです」という言葉を残しています。

「他人の役に立つこと」とは???

「誰かを助けたい」「力になりたい」と思う気持ちはとても尊いものです。しかし、その想いがいつも相手にとってありがたいものとは限りません。善かれと思ってかけた言葉が、励ましになることもあれば、時には「余計なお世話」として受け取られることも少なくはありません。

「優しさ」と「お節介」の境界線は、実はとても曖昧です。

私たちはつい「自分がしてあげたいこと」を考えてしまいがちですが、本当に大切なのは「相手が必要としていること」に目を向けることではないでしょうか。相手が望む時、望まれる形で寄り添うこと。自分が善かれと思って行った行為でも、相手が望んでいなければ、その優しさは、余計なお世話、お節介になってしまうのかもしれません。

私たち薬剤師は、薬の専門家として正しい情報を伝える責任があります。副作用や飲み合わせ、生活上の注意点など、患者さんに知っていただきたいことは本当にたくさんあります。しかし、正しい情報を伝えることだけが私たちの仕事ではありません。

例えば、診断を受けたばかりで不安の中にいる患者さんに、考えられる副作用を次々と説明したらどうでしょうか。内容はすべて正しくても、その方にとってそれは本当に必要な情報なのでしょうか。

薬剤師に求められるのは、「何を伝えるか」だけでなく、「今、その人に何が必要か」を考えること。患者さんが知りたいことは何か。患者さんが困っていることは何か。私たちは時に「しっかり伝えなくては」という気持ちから、必要以上に説明をしてしまうことがあるかもしれません。しかし、それは相手のためというより、自分が伝えたいという思いが先立っていないか、一度立ち止まって考えたいものです。

薬剤師に求められていることは、持っている知識をすべて話すことではなく、相手が必要としている情報を、必要なタイミングで、理解できる形で届けることなのかもしれません。

以前、他人の役に立つとは、相手が必要としていることに目を向けることなのかもしれないと強く感じた出来事がありました。それは、麻痺のある方とお話をした際のことです。

「できない事は言うから、手伝ってね!!」と、周囲にハッキリ伝えるようにしているとおっしゃる方がいました。

「食事のとき、口に食べ物が付いていてもわからないから、教えてね」

「ヨダレが垂れていてもわからないから、教えてね」

「でも、自分で出来る事は頑張るから、時間がかかるけど見守ってね」と…

その方は体の左側に麻痺があり、左側は温覚がないそうです。冷たさはなんとなくわかるようになったけれど、いまだに熱さはまったくわからないそうで、火傷に注意しているとも話してくれました。そして「ウォシュレットを使うと、お尻の穴の位置を不思議に感じるの」と笑っていました。

ご本人は「滑舌が悪くて困る」とおっしゃっていましたが、私はその方に滑舌の悪さはまったく感じません。でも、ご本人はとても気にされていました。

周囲にはわからない不自由さやもどかしさがあることを、改めて考えさせられました。

他人の役に立つとは、自分の思いを押しつけることではなく、相手が必要としている時に、必要としている形でそっと寄り添うこと。

「手を差し伸べる」と「引っ張る」の違い。優しさとは、「困ったら使ってね」と手を差し伸べること。一方で、お節介とは「あなたのためだから」と相手を引っ張ることに近いのかもしれません。

しかし、「余計なお世話」とその時は感じたとしても、その一言や差し伸べられた手に救われることがあるのもまた事実。後から振り返ってみると、あの時のお節介に助けられたという経験をされた方も多いはずです。

ダライ・ラマ14世が残した言葉には続きがあります。

「この世における私たちの第一の目的は、他人の役に立つことです。
そして、もしそれができないなら、せめて他人を傷つけないことです。」

他人の役に立つということ、それは何かをしてあげることなのか、それともそっと見守ることなのか。

他人の役に立つことの意味を、私は今も模索中です。


母として薬剤師としての堀美智子


母はよく「大切な人のいうことは信じなさい。嘘だとわかっていても、信じたふりでいいから、その人を信じなさい」といっていました。
時に人は嘘をつくことがあります。そして、その嘘を見抜くことは案外簡単なものです。間違いを指摘したり、矛盾を暴いたりすることは、それほど難しいことではないように思います。しかし、嘘だとわかっていてもその人を信じることは、愛がないとできません。もちろん、嘘そのものを肯定するということではありません。その人が嘘をつかなければならなかった背景や、その人自身の苦しさに目を向けるということです。

私たちはつい、「正しいか、正しくないか」で物事を判断しがちです。しかし母は、「正しいことが、いつも正解とは限らない」と話していました。事実を突きつけることよりも、その人の気持ちに寄り添うことが大切なのだと…。

他人の役に立つとは、もしかしたら何か特別なことをする必要はないのかもしれません。相手を理解しようとすること。相手を信じようとすること。

どんな時も愛を持って接することができれば、お節介は優しさに変わるのかもしれません。

私の嘘をいつも信じてくれたママ。「本当はわかっているぞ」そんなママの心の声が、今も聞こえてきます(笑)


大好きなママへ愛を込めて…
三浦 紗耶華