ヘルスケア業界に「会社存亡の危機に瀕していた卸売企業の社長に就任し、カリスマ的な経営手腕によって、わずか3年で黒字化」という圧倒的な実績を持つ経営者がいる。アルフレッサ ヘルスケアの代表取締役会長・勝木尚氏だ。
勝木会長が歩んできた道に目を向けると「特異的な経歴を持っている」ことに加え、「なぜ赤字企業を見事に復活させることができたのか?」という疑問に対してのヒントが散りばめられていることが分かる。
メーカーで25 年勤務、卸売企業の経営トップとして14年。メーカーでは、1984年に医療衛生・ベビー用品のメーカー・ピジョンに入社し、若手ながらも短期間で頭角を表し、2000年に大阪支店長 兼 西日本統括、01年に執行役員営業本部長、03年に常務執行役員営業本部長。06年以降は取締役として、営業本部担当 兼 ロジスティクス本部担当、07年に開発本部担当 兼 ロジスティクス担当を歴任した。
つまり勝木会長はメーカー時代に、何か1つに偏った能力ではなく、開発・営業・ロジスティクスといった幅広いながらもトップレベルの能力を培ってきた。その経験を融合させ、卸売企業の経営トップとしていかんなく発揮したことが、存亡の危機にあった業績をV字復活させるという、誰もが認めざるを得ないレベルの実績につながったのだろう。
今回は、勝木会長にロングインタビューに応じていただいた。丹平中田〜アルフレッサ ヘルスケアの経営トップとしての14年間、そしてこれから。メーカー勤務時代のエピソード、そして勝木会長ご自身が注目している商品について語っていただいた。(記事=佐藤健太)
――アルフレッサ ヘルスケアが誕生してから12年、勝木会長が卸売企業に移籍してから14年が経過しました。
勝木会長 卸売企業で仕事をする以前、私は医療衛生・ベビー用品を中心に展開するピジョンに勤務していました。ご縁があり、2009年5月、当時の丹平中田(現アルフレッサ ヘルスケア)に入社し、6月に社長に就任しました。
それまでも赤字続きでしたが、初年度は約10億円の赤字。自己資本比率も3.5% で、あと 1〜2回の赤字を継続すると債務超過となり、メーカーさまや小売り企業さまなどとの取引がストップしてしまうと危惧し、正直な話、夜も眠れない日々が続きました。
ですが、社員の頑張りもあって1年で若干の黒字化となり、これを評価していただいたことで2010年にアルフレッサホールディングスにグループ入り。それ以前に丹平中田に入っていたアルフレッサホールディングスの資本は6.5%でしたが、100%となりました。そして2011年10月に、アルフレッサホールディングス傘下だったシーエス薬品のセルフメディケーション卸売事業と統合し「アルフレッサ ヘルスケア」が誕生したのです。
その後、2011年11月にモロオ(北海道)、2012年10月に琉薬(沖縄県)、2014年11月に常盤薬品(山口県、現ティーエスアルフレッサ)の各OTC部門を併合していきました。
新生アルフレッサ ヘルスケアは大きな期待のもと船出したのですが、2 年間はトータル 32億円の赤字を出しました。これまた自己資本比率が3.5%ほどになり、またしても危機感を抱いたのですが、350人の社員全員が、一致団結で頑張ってくれたおかげで 2013 年に黒字化に成功。それからは順調に推移し、現在売上高は約2500億円、営業利益率約1%を出せる企業に成長しました。
かつて医薬品卸売業を営む会社は全国に1000社以上ありましたが、時代の流れとともに300数社に減少。厳しい経営環境を背景にM&Aが進み、さらにその数は減り続けています。その理由として挙げられるのが、「全国デリバリーができるか?できないか?」が大きいと分析しています。
現在、ヘルスケア卸売企業で全国デリバリーが可能な企業は、アルフレッサ ヘルスケアを含めて実質的には3社と言われています。大手ドラッグストア企業さまは全国各地に店舗展開しており、卸売企業が「北海道は大丈夫ですが、沖縄県は対応できません」というわけにはいきません。大手ドラッグストア企業さまの店舗網を対応できなければ、ホールセラーの機能を果たせない環境にあるからです。
こうしたことで廃業した卸売企業が出てきているわけですが、その企業と取引していたメーカーさまの次なる卸売企業として一番に選ばれているのが、実は当社なのです。
――3年目で黒字化。この達成の陰には、想像を絶する努力があったと聞いています。
勝木会長 丹平中田の社長就任から2年間は、本当に大変でした。私は医療衛生・ベビー用品の世界から、医薬品卸売業にやってきましたので、就任した当時は、「医薬品を知らない人物が、何ができる?」との声が周りから聞こえてくることもありました。今になって振り返ると、自身に厳しい目を向けられている環境が良かったのだと思います。
当時、特に注力したのは人材育成です。非常に厳しい経営環境の中、決断には勇気が必要でしたが、コストはできる限り節約し、人材育成への投資に踏み切りました。
”経営の4大資源”は「人・物・金・情報」と言われていますが、「物」は「人」がつくり、「金」は「人」が生み出し、「情報」は「人」が得てきます。ですから私は、”経営の4大資源”を「人・人・人・人」と認識し、人材育成に多くの予算と多くの時間を使いました。
現在もさまざまな人材育成制度を導入し、徹底的に取り組んでいます。例えば、医薬品流通営業(MS)の育成においては、各社員の勤続年数や階層別・役職ごとのプログラムを用意して研修を拡充させています。社員は、専門的な知識を習得することはもちろん、変化する環境や消費者のライフスタイルに応じた多角的な提案ができるよう、常に学びの姿勢を大切にしています。
――アルフレッサ ヘルスケアはCDT(コンシューマー・ディシジョン・ツリー=消費者購買意思決定ツリー)の活用など、先進的なMD(マーチャンダイジング)を推進しています。
勝木会長 CDT-MDは、当社が持つデータを駆使し、お客さまが持つ悩みごとにカテゴリーを細分化した提案であり、簡単に言えば「お客さまにとって分かりやすい売り場を、どのように作れば良いか?」というヒントを示すものでもあります。CDT-MD戦略はサプライチェーンの収益拡大になると考え、強力に推進しているところです。
CDT-MDの推進は、CDT-MD部が中心となって取り組んでいます。お客さま視点の「需要創造」と「価値創造」という2つの使命のもと、現場をサポートする存在として重要な位置にある部署です。お客さまが問題解決できる商品づくりと売り場を考え、ドラッグストア企業さまとともに価値創造を高められる戦略がCDT-MDであり、店舗の立地・客層に応じた品揃えの強化、悩みの細分化による需要創造の展開・実現を目指しています。
健康意識も高まっている今現在、それに比例するようにヘルスケアに関する情報のニーズが増しています。ですが、“情報過多の時代”と言われているように、リアルにもネット上にも多くの情報が溢れ過ぎているため、ドラッグストアに来店したとしても、「自身の症状に、どの商品が対応するのか?」ということが分かりにくくなっています。こうした環境であるからこそ、お取引先さまには、ぜひ当社のCDT-MDをご活用いただきたいと思います。
――アルフレッサ ヘルスケアの22-24中期経営計画には、CDT-MD戦略に加えて、AHC-SFA営業支援システムの活用も重要項目として挙げられています。
勝木会長 AHC-SFA営業支援システムは、納品実績や店舗情報、商談、在庫などの情報を共有し、分析や企画、情報収集、商談・打ち合わせなどの業務の効率化を目指すシステムです。過去3年間のデータを瞬時に取り出し、分析することが可能なので、時間的コストを大幅に削減し、提案書作成やそれに基づく効果的なアクションなどに十分な時間を割くことができるようになりました。
ドラッグストア企業さまとは、企業戦略の共有や売り場企画、運営実績、成功事例、商談資料などをリアルタイムに共有し、売り場実現の徹底を図りつつ、経営方針と現状のギャップを埋められる企画提案をしていく方針です。
もちろん商売をする上で心情は大切なのですが、2000〜3000店舗を持つドラッグストア企業さまも出てきており、これまで通りでは、店舗数が多過ぎて目が届かない部分がどうしても出てきてしまいます。ですから、今後はデータドリブン経営(データを基にした経営。経験や勘に頼るのではなく、収集・蓄積されたデータの分析結果に基づいて戦略・方針を決める経営数値を基とした経営)が重要だと位置付け、このAHC-SFA営業支援システムの導入を決めました。
AHC-SFA営業支援システムとCDT-MD戦略。社内ではこれらの仕組みをAHS(アルフレッサ ヘルスケア ソリューション)と呼称しています。
――この4月にトップ人事で、西田誠専務が新社長に就任しました。
勝木会長 私が卸売企業の社長に就任してから早14年。私の意思を汲んでくれ、お得意先さまからの信頼も非常に厚い、取締役専務執行役員・営業本部長だった西田誠に代表取締役社長のバトンを渡すことができ、少し胸をなで下ろしているところですが、もちろん西田新社長をバックアップしていきたいと考えています。
社長と会長の二頭政治をする気持ちは全くありません。ただし私は、西田新社長を支えながら、セルフプリベンション商品(SP商品=アルフレッサ ヘルスケアの専売商品)などのものづくりに取り組んでいく方針です。
――SP商品についてお聞かせください。
勝木会長 SP商品に取り組むことによって、社員たちが商品を生み出す過程や大切さなどを学ぶことができますし、それによって「 1 つの商品を作って、お客さまに買ってもらうのは大変なことだ」と、NB商品についてもより大切にしなければならないと認識でき、人材育成にもつながります。ものづくりで一番肝要なのは、この部分です。
アルフレッサ ヘルスケアはSP商品に対して4つの指針を掲げています。それはエビデンスがしっかりと取れている「本物であること」、長期にわたって商品を育成してもらうため「季節性がないこと」、製・配・販で「適正な利益が確保できること」、産地や原料など「他社に真似ができないこと」。これに適った商品のみがSP商品に選ばれます。
特許を取得した膣洗浄器「インクリア」、大量生産が困難な「たもぎ茸の力」、たもぎ茸を原料にした機能性表示食品「記憶の番人」、限られた水源でしか採水できない硝酸態窒素ゼロのミネラルウォーター「薬剤師のおすすめ アルカリ天然水」などなど。どれも当社以外では発掘・育成できない商品ばかりです。
――勝木会長は1984年にピジョンに入社し、営業本部のトップまで上り詰めました。この経験がアルフレッサ ヘルスケアで、どのように活きてきましたか?
勝木会長 ピジョンでは発展途上だったドラッグストアをはじめ、GMSやスーパーマーケット、ホームセンターの薬品部など多くの企業さまを担当させていただきました。本当にたくさんの方々とビジネスをすることができ、人脈形成という意味でもありがたい経験でした。
入社から約12年で広島支店長に抜擢され、大阪支店長、西日本統括と、長らく西日本を中心に営業活動をしてきました。その後、営業本部長に就任し、東日本のドラッグストア企業さまも徹底的に回らせていただきました。
アルフレッサ ヘルスケアの社長を交代した今年4月、西田新社長と共に1ヶ月で主力企業の経営トップにアポイントを取り、ご挨拶することができたのも、ピジョンの広島支店長では中四国、大阪支店長では関西全域、西日本統括では九州全域、営業本部長では日本全国と、精力的に営業活動を展開してきたからこそでしょう。いずれも錚々たる方々で、ご多忙の中、お会いさせていただき、本当に感謝しております。
当時は、今のようにドラッグストア企業は大規模ではありませんでしたし、経営トップの皆さまとはとても長い期間、共に仕事をさせていただき、その成長を一緒に見てきました。ドラッグストア各社の経営トップの皆さまと、お互いをよく知る間柄だったからこそ実現したのだと思います。
――その後、取締役として営業本部担当 権 ロジスティクス本部担当、開発本部担当 兼 ロジスティクス本部担当と、活躍の場を物流や開発に広げていきました。
勝木会長 今振り返ると、物流や開発(ものづくり)に関わることができたのは、非常に有意義でした。卸売企業のトップとしてさまざまな壁を乗り越えることができたのも、この経験があったからこそだと思います。
ピジョンはベビーとお母さん、そのご家族の皆さまに安心・信頼・安全を提供する企業です。赤ちゃんとお母さんが必要とされるもの全てを開発するスタンスでしたので、哺乳瓶やおしゃぶりは有名ですが、スキンケアやベビーフード、洗剤など多岐にわたった商品開発をしていました。
デザイン性などお母さんやご家族のニーズを取り入れるのはもちろんのこと、言葉を発しない赤ちゃんは商品に対して厳しい感性を持っています。当然ですが、赤ちゃんは大人と違って「気に入らないけれど、買ってしまったから使おう」ということはあり得ません。ですから、より繊細な商品開発が重要となるのです。
現在アルフレッサ ヘルスケアは、SP商品の開発に注力していますが、ピジョンでハイレベルな開発に携わった経験が大いに活きています。
さらにロジスティクスの中に購買部があり、数多くの優良企業とのOEMにも取り組んでいました。商品を売る立場も難しいですが、それと同じくらい、買う立場も難しいということを学びました。ピジョンでのOEM企業との出会いが、今の私の血となり肉となっています。
ピジョンという素晴らしい企業に 25 年間勤めさせていただいたことは、私の人生の財産であり、大変ありがたく思っております。
――開発・営業のプロとして、そして卸売企業の経営トップとして、勝木会長が現在注目している商品についてもお聞かせください。
勝木会長 商品というよりも、ある企業が手がけているシリーズサプリや肝油などの商品群、企業としての取り組みに注目しています。その企業とは「野口医学研究所」です。
全世界において広く著名な医師・野口英世博士の名を冠した企業であり、同社の商品パッケージには野口博士の肖像フォトが掲載されています。10年以上も前になりますが、初めて野口医学研究所の商品を目にしたときは「なぜ野口英世が?」と驚いた記憶があります。
ご承知のとおり、野口博士は1000円札の人物にもなっており、グローバル視点で考えると日本円は、海外の方々から非常に厚い信頼を得ています。その野口博士がパッケージにあるということは、海外展開やインバウンドにおいても優位性が期待できます。
1000円札は生活に欠かせなく、身近な存在であるが故に、疑問を持つ日本人は少ないですが、やはり海外の方々は「なぜこの商品に、お札に描かれている人が載っているの!?」と不思議がるケースが多くあります。お会いした中国や台湾、韓国、タイ、ベトナム、マレーシア、シンガポールなど、世界各国の方々が、首をそろえてびっくりするのです。
野口医学研究所のシリーズサプリには、納豆キナーゼや大豆イソフラボン、イチョウ葉、グルコサミンなどがラインナップされていますが、これらは他社からも商品化されています。しかし当然ながら、絶大な信頼を持つ1000円札の人物・野口博士の肖像フォトは掲載されていません。
そうした意味合いで、スタートライン時点で他社品との差別化が図れていると言えます。野口博士の肖像フォト、これが絶対的な信頼の証になるのです。
しかも、野口医学研究所は単にサプリメントを販売しているだけの企業ではありません。実は、素晴らしい取り組みを行なっており、私は、その姿勢に感銘を受けました。
――それはどのような取り組みなのでしょうか?
勝木会長 米国臨床留学を実施していることです。もともと野口医学研究所は、40年前の1983年に日米の国際医学教育と医学交流を目的に設立された「米国財団法人 野口医学研究所」としてアメリカペンシルベニア州フィラデルフィア市で誕生。「株式会社 野口医学研究所」は、その活動の資金づくりのために設立されたという歴史があります。
米国臨床留学は、日米の国際医学教育の延長上にあり「医師を志した原点には少なからず患者さんや社会に貢献したいという思いがあったはず」と考えた野口医学研究所が、「大学の医局制度の中でばかり考えるのではなく、一度は日本を出て米国で学び視野を広げてその思いを遂げてほしい」との一心で取り組んでいる留学制度だと、野口医学研究所の末永佳文会長に聞いております。
毎年12月初旬に選考会が開催され、それに合格した医学生や医師、コ・メディカルスタッフの30〜50人が、毎年フィラデルフィアのトーマス・ジェファーソン大学などで研修を受けます。これまで1300人以上が支援を受けて米国留学を果たし、日本や米国で大学教授になった人も多くいます。
「第二の野口英世の育成を目指して」という理念のもと、株式会社で得た利益を、米国財団法人に還元して、日本の医学の未来に貢献しようとする姿勢は大変素晴らしいと心を打たれました。
――現在、野口医学研究所からの商品で特に好調なのはどちらの商品でしょうか?
勝木会長 「おとなの肝油ドロップ」が大ヒットしています。全国の調剤薬局やドラッグストア、約18000店舗に導入されており、出荷数は月間2万個以上。現在進行形で取り扱い店舗も増加している状況です。
このヒットの要因は、商品名にある通り50代以上の大人をターゲットにしたことが挙げられます。子ども向けの肝油は世の中に多くありますが、そもそも大人をターゲットにした商品は存在しませんでしたので、あえて50代以上を狙いました。
50代以上といえば、戦後の栄養事情が悪くビタミンAやビタミンCの不足からくるとり目(夜盲症)を防ぐために、学校で肝油をもらっていた世代です。ですから、肝油に対しての親しみやすさがあり、そして可処分所得が比較的多い層ということで、リピーター獲得につながっています。
――インタビューにお答えいただき、ありがとうございました。